どうして?を思考停止ボタンにしない

マインド

思い通りにコトが進まなかったとき。

こうしようと思っていたのにそうならなかったとき。

こんなはずじゃなかったという事態が起きたとき。

ショックを受けますよね。コトによっては大きく方向を変えなくてはいけなくなるし、想定とは違う展開にそのあとどう舵を切らなくてはいけないのか
考えなくてはいけなくなる。

本当に大きな事態(天災・事故・死別・病気など)が起きたときは恐怖と事態の飲み込めなさとで通常の思考ができなくなります。

事態の大きさによってショックや怒りの状態から通常の状態に戻るまで

かかる時間は異なるかとは思いますが、
「なぜこんなことに?」や「どうして?」と事態が起きた理由を誰かに
答えを求めたくなります。
天災などは神に、でしょうか。

ところが「どうして?」への解答は必ずしも得られるものではありません。

 

更に言えばそのどうしてに対して答えが得られたとしても納得がいくわけでもないですよね。

それは「どうして?」の奥には「どうして私がこんな目に合ったの?」という「私」が必ずあるわけで(私の家族に、や私の会社に、も私が起点です)

他でなくどうして自分が、といったことに対して思いもよらない事態に見舞われたことに対してそもそも受け入れがたいわけなので理由があったとしても、それならOKとはなりづらい。

受け入れる側が受け取って初めて解答になりうるという点で解答は必ずしも
得られるとは限らないものではないでしょう。

さらに「どうして?」を問う対象を間違っていたら答えは得られないもの。

昨日まで動いていた家電が急に動かなくなった。どうして??
そこで家族に「これ、急に動かなくなったんだけど!」と訴えても
答えが得られないことはおかしくはないですよね。
そこは販売元や修理を請け負っている所に連絡しないと解決しません。

 

どうして?からどうするかに転換させよう
どうして?状態から脱するには、解決に繋がるような手を打つという臨機応変さが必要です。

思い通りにいかなかったことへの未練はありませんか。

 

ところが「どうして」の答えは必ずしも見えないことがあります。
今自分が持っている視野では見えないところにあるからです。

物事に「なぜ?」と疑問を抱く姿勢はとても大切で欠かせないとわたしは
思っていますが、ずっと「なぜ?」とばかり問うてそこから先に進まなかったら
時間が勿体ありませんよね。

思い通りにならなかったときは優先順位を見直すチャンスでもあります。
これがダメならじゃあいつまでに何が必要でどこまでお金と時間を投資できるか
を改めて見直して、そこから次の選択肢を選ぶことになります。

わたしもよく一発で物事が進まなくてちょこちょこ壁に当たってます。
新しいことをしていると特に多い。
PC系の事柄なんかもね、アプリをダウンロードしたもののうまく起動して
くれないとか使っていても不具合が生じたりとか。

「ぐわーーー」ってなるんですけど、淡々とアプリの運営側に
質問メールをしたり知りたい内容が得られるまでググってみたり、
自分よりその道に詳しい人に相談してみたり、
「どうして?先に進めない・・」で止まらずに打てる手を打ちにいきます。
「どうして」のままだと誰かが答えてくれるの待ってるみたいなもの
じゃないですか。
答えが欲しかったら答えを知っていると思しき相手に問うしかないですよね。

「どうして?」で立ち止まらない。
買ったものがすぐに使えなくなったとか、突然振られたとか、
昨日まで問題なく稼働していたものが壊れたとか、思ったようにコトが
運ばない時は立ち止まらずに次の一手を即練り直そう。

同じことが起こらないように「どうしてかな」と考えることもワンセットでね。

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